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セネカ先生

「竹久夢二の恋愛論」その1〜バカな男たち〜

2019/07/30 19:47:43

竹久夢二は大正と昭和の初期に活躍した
美人画家です。
もちろん知っていますよという人も多いでしょうが、
知らなくても、その絵や後世に影響を受けた画家や
イラストレーターの作品群からその痕跡を誰もがどこかで
目にしていることでしょう。

さて、大正は自由恋愛の幕開けでもあり、
知識人たちは多くの「恋愛論」を語り、
恋愛をモチーフにした短歌や小説、絵画が
もてはやされました。

夢二自身も作品だけではなく、
多くの女性と浮名を流しており、
その体験と芸術活動で磨かれた感性と
留学や西洋の書物から学んだ知性を以て、
今日「夢二の恋愛論」と呼ばれる、一連の
詩やエッセイをしたためています。

なぜ今回、夢二を選び、彼から恋愛に係るエッセンス
を学ぼうとしているのかというと、
まず、古い時代の人たち=古い価値観=今とは違う、
あるいは、今では通用しない考えを持っていた人たち
という考え方を払拭したいということ
(サンプルとして適任だった)。

もう一つは、夢二という人物に抱く、芸術家であり、
美人画を極めようとした者という特殊性ではなく、
むしろ、絵と産業を結び付けようとした、ロマンや
耽美の世界ではなく、徹底した「現実主義」に生きていた、
「一人の現代人」という側面から彼をもう一度見つめよう
という思いからです。


その内容に移る前に、既にかなり前置きが長くなって
しまった(笑)、では、少し夢二の原風景とその時代の話をして
から、まずは「男性像」としての「バカなおとこたち」
について、そして
「恋愛論その2」で「女性像」について見ていきましょう。

前回のブログからだいぶ時間も経ちますし、
前回のブログも続きがある形で終わらせているじゃないかと
指摘されるかもしれませんが、大丈夫です(笑)
ちゃんと書きます(笑)ほんとです。


夢二ゆかりの地は全国に点在していますが、
実は、セネカは5月に神戸と姫路に行ってまいりました。
というのも、神戸は夢二が最も多感な少年期を過ごした場所で、
小さな島国で生まれ育った男子が、その国際港から、
異国の国々へと思いを馳せた原点と言えるからです。

「明治」や「大正」というと、「国際人」や「確立された個人」
や「自由の精神」などというものからはいささか遠いように
思われますが、神戸の港やその周囲の建築物は欧米の優れた
技士や建築家の指導の下に整備され、眼前に広がる海原は、
我々が考えているよりもはるかに、当時すでに「近く」に
異国の港を感じさせるものでした。

その「近さ」の一因は、我々の感傷がそうさせるのでも、
当時のこの国の西洋への憧憬がそうさせたのでもありません。

英才を次々に派遣し、今でいう外交官として、また優れた
教育や技術を習得する留学生として、さらに、「今現在」
彼の地では何が行われているのかを記す特派員として、
何足もの草鞋を履かせながら、その果実を確実に持ち帰ら
せようとした日本政府の方針とそれに全面的に答え続けた
彼らの真っすぐな思いがあったのです。

実際、定期便で届けられる各国の情勢は、
極めて正確に早く伝えられ、ネットや衛星がない時代だとは
とても考えられないほどでした。
いかに彼らの語学力が高く、同時に必要な情報を選別し
編集する力があったのかを物語ってます。


この時代の海外は、私たちの想像より遥かに
実感としては近かったのです。
少し先発のエリートたちがもたらした果実を、
貪るようにして西洋の文化、学問、芸術を吸収していった
少年夢二は神戸港から手を伸ばせば届きそうな欧州へ
思いを募らせていたのでしょう。

私は、夢二が後に滞在した室津の小さな漁港を目にしたとき
非常に驚きました。
環境や機能が近いと、その形、佇まいは自ずと似るものなのだと
よく言われますが、それはまさにヨーロッパの美しい小さな
漁港そのものでした。
その時、彼は何を、誰を思い筆をとったのか・・・

さて、彼の原風景はこのくらいにして、
恋愛論で描き出される「男性像」に今回は着目してみようと
思います。

「バカなおとこたち」と私はまとめてみましたが、
このおとこの「バカさ」とは

 ・いつまでも子どもであり続けること
 ・熱中して目的を忘れてしまうこと
 ・女性の心を理解することがとっても苦手なこと
 ・女性の前では勇気百倍になるが、引くに引けずで困る事
 ・そんな男が、そんな男だからこそ、
  人を愛することで聖なるものにもなれるということ。

「恋人達・四篇」のおとこたちは、
滑稽な喜劇の中に現れます。
夢二も相当に遊んでいるというか、
自由に楽しく書いている気がします。

男児は初恋の気配を感じるのですが、
少女が怖いと言った毛虫を払い、
自分の勇気をさらに示そうと、投げつけたり、
自分の帽子に入れて、平気さとやるのですが
・・・少女はドン引きするわけです。

また、若い男はデートで水族館に行き、
女性に自分に懐いたオットセイを紹介するのですが、
女性は人が見てるしみっともない、それになんだか汚らわしい
と思うわけですが、男性は、本当は、女性に自分の
遊び心を見せようとしていたのに、ついには、
この面白さがわからんのかと、帰らせてしまうのです。

あるいは、海辺で男児と若い男が戯れに相撲をとって
見せるのですが、これも目的が変わってしまって、
泣きわめく男児を何度も何度も投げ飛ばしてしまいます。

最後の一片は、ほとんどホラーです。
水泳の達人が、美しい女性にアピールしようと
深い河に飛び込むのですが、不慮の事故も重なって、
観客たちは気づかぬまま、そして、女性は演技までして
サービス精神が旺盛ねと微笑みながら、
彼は静かに独り溺れ死ぬのでした。

この、なんとも女性の心がわからないおとこたち。
それでも、憎めない彼らの姿は誇張されていますが、
私の周りにも、いや、私の中にもこうした男性が
たしかに潜んでいる気がするのです。

褒めているのは、普段とのギャップだったり、
時折見せるユニークな側面や、集中した横顔の凛々しさ
なのですが、おとこたちは、その能力や挑戦にこそ意義
があるのだと、そして一度そこを目標と定めれば、
女性へのアピールであったことなど、忘れて、
無我夢中になってしまいます。

どうして、目的が変わってしまうのか。
女性にいいところを見せたい、アピールしたいという
本来の目的が変わるその実は、
女性が何を求めているのか、そのよい加減がわからないのです。

男性の行動原理や、目標の設定は、
悲しいほどにシンプルで、単純です。

そして、痛ましいほどに女性の気持ちの機微が
わかりません。

多くの男女のコミュニケーションの失敗も
神の視点で見てみれば、なんとバカバカしくも
根が深いこうした理由なのかもしれません。

聖なるものについては、次の回「女性像」
の話にまかせて、今回はこのへんで。




次回「竹久夢二の恋愛論」その2〜聖と俗の間にある魔〜



恋愛は「女性崇拝」に始まり
「女性崇拝」に終わる
竹久夢二

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